014 元アイドルの女04

「いや、ちょっ…」

宮中しほりが絶句したのとは対照的に、ぼくは無理やり割って入った。それは、絶対にやっちゃいけないことだ。

「ひ、引き抜きじゃないっすか、そんなの」

「バカなこというなよ。社長にも了解をとった、ってゆったろ。円満退社、円満移籍だ」

「いや、でも…」

芸能界では、プロダクション間の引き抜きは絶対的なタブーだ。これが自由になると、タレントたちは、もっといい条件、もっといい仕事を求めて大手や独立の道へいってしまう。ギャラも吊り上がる。コストをかけて育てたタレントが、コストを回収できないままに移籍してしまうと、芸能プロダクションというビジネスは成立しない。独立や移籍にあまりに厳しい条件を課すと、独占禁止法にかかわる問題になるが、芸能界のしくみは基本的にはそういうものだ。

「具体的には、事務所を退社して、海外留学する。期間は6か月、場所はベルリン。そこで歌のトレーニングをやり直して、戻ってきたら俺たちとバンド。渡航費と留学費用、向こうでの生活費は、きみのアルバムとツアーのギャラと、サファイアからの餞別でやりくりしてくれ」

「いや、ちょっと待ってくださいよ…」

混乱しながら、宮中しほりがすがりつくような目で社長を見た。

「しほり、これはきみのためなんだ。今回のアルバムの数字では、サファイアとしてきみを推していくのは難しくなる。キバくんが言ったように、しばらくチャンスはないだろう。きみがまだステージに上がりたいなら、新しい環境でもういちど勝負すべきなんだ」

社長は、さすがの迫力だった。サファイアが長く芸能界の盟主として君臨しているのも、このひとがいるからだ。宮中しほりの売上はサファイア全体から見ればスズメの涙だろうけど、社長が親身になって相手を思いやっているのがよくわかる。

「正直にいうよ。私は、キバくん、エンドウくんの能力をとても評価している。彼らは鹿浜橋ミュージックを辞め、フリーになる。その節は、サファイアの外部スタッフとして、うちの新譜を担当してもらう。そのための条件として、キバくんは、きみが欲しい、といってきた」

彼女は驚いて、キバさんの顔をまじまじと見た。ぼくも同じことをした。どうして宮中しほり?本人には悪いが、もっといいボーカリストはたくさんいる。人脈をリセットするという方針があるにせよ、街中のライブハウスにだっていいのに。