001 プロローグ 01

目が覚めたら、会議室の中だった。照明は点いているが、誰もいない。とっくにスリーブになったPCに突っ伏す形で、いつのまにか寝入っていたみたいだ。デスクの上にはメモ書きが散らかっている。そうか、まだ仕事の途中だったな。

PCを立ち上げたら、右下に「02:45」と表示があった。サカモト主任が帰ったのは0時過ぎのはずだから、2時間半ほど経っていることになる。これはもう、居眠りとはいえない。爆睡、ってやつだ。もう30時間以上、布団には入っていない。

「明日までに、それなりに形にしといてくれ」。サカモト主任はそう言って、ぼくを残してこの会議室を出ていった。そこまでは覚えている。すぐ眠り込んでしまったのだろう。サカモト主任の出社はいつも10時頃だから、それがリミットだが、もうメドはついているので、あとは書類にするだけだ。喉の奥に嫌な粘り気を感じた。目覚ましついでに歯磨きでもするか。そう思って、ひとつ上のフロアにある洗面所に向かった。

3面ある洗面台の真ん中では、隣の制作部のニシオカさんが手を洗っていた。ぼくがこの会社にに入ったとき、最初の現場ですぐ上の先輩。あれから5年になり、それ以来は同じ現場になることはなかったが、いつも何かと目をかけてくれる。

「お、サトルじゃん。宮中しほりの件、なんか大変らしいな」

「ええ、まあ。昨日から徹夜っすね」

宮中しほりは、2年前にアイドルグループを卒業し、ソロシンガーに転身した。これまでに3枚のマキシシングルをリリースし、ようやく14曲入りのフルアルバムを出す。収録曲も決まり、オケのレコーディングは済んでいる。あとはボーカルレコーディングのあと、歌入れしてミックスダウン、マスタリングを経て、リリースとなる。プロデューサーの指示のもと、具体的な制作作業をマネジメントするのが、ぼくたち、レコード会社に所属する音楽ディレクターの仕事だ。

ボーカルレコーディングは6日間で8曲の予定だった。先行シングルの音源はそのまま収録するので、余裕を持ってスケジュールを組んだはずだった。2曲はプロデューサーからOKが出ている。あと3日で4曲、という段階になって、宮中しほり本人がインフルエンザにかかった。スタジオやレコーディングエンジニア、コーラスシンガーのスケジュールを組み直さなければならない。とんでもない仕事量に目がくらみ、丸一日かけて関係者と再調整を試みていた。あからさまに面倒なカオをするひとも少なくなかったが、何とか立て直すことができそうだった。その見通しが立ったころ、サカモト主任が帰宅し、ぼくは睡魔に惨敗した、というわけだ。