013 レトリックのいろいろ:形容

レトリックの最も基本的な技法のひとつが、形容です。あるひとつのものを提示するだけではなく、それがどのようなものであるかを説明することで、より立体的なイメージを持たせることができます。

久しぶりに、ヨシオくんにも登場してもらいましょう。ヨシオくん、次のふたつの作品には、どちらも「走った」という言葉がありますが、何か印象に違いはありますか。

痛いけど走った 苦しいけど走った 報われるかなんてわからないけど
とりあえずまだ僕は折れない ヒーローに自分重ねて 明日も

明日も/SHISAMO(作詞:宮崎朝子)

空はまだ明るいのに、突然、雨が降ってきた。
僕はずぶ濡れになりながら、街を走った。

世界には愛しかない/欅坂46(作詞:秋元康)

「SHISHAMOさんのほうは、走るということがすごくポジティブに捉えられている気がします。結果を不安に思って足を踏み出さないんじゃなくて、なにかに全力で取り組むこと、それ自体がとっても充実感のあることなんだ、っていうメッセージが込められているんじゃないかな。痛い、苦しいっていうワードもあるけど、ネガティブなんじゃなくて、そういった困難を軽く超えるくらいのポジティブさ、気持ちの強さが表現されていて、むしろマイナスな言葉がポジティブを強めているような気がします」

なるほど。欅坂46はどう?

「こっちは真逆っていうか、ネガティブですよね。自分から走り出すんじゃなくて、走らざるを得ない状況になってしまった、っていう。ずぶ濡れになることも嬉しいことじゃなく、悲しい、しんどいことなんで。とっても嫌なイメージですよね」

そうなんです。「走る」というまったく同じ行為であっても、どのような状況で走るか、どういった心境で走るかによって、受けるイメージはまったく違います。ということは、同じ言葉でも、どのように形容するか、そのシチュエーションをどのように描くかによって、それぞれ異なる作品が生まれるわけです。

春ソングの定番である桜。この花を描く作品はたくさんありますね。これも、咲き誇っているまさにそのときを描くと、小さな花の集合が豪華に見える、ひとりひとりは小さな存在でもすばらしい世界を導くための不可欠のパーツだ、というメッセージに適合します。一方で舞い散る桜は、儚さ、弱さ、別れ、といったイメージを導くでしょう。描き方によっていろんなイメージを想起させる、ということは、作詞の第一歩です。